岡山バスマップで目指したもの 岡將男


ぼっけえ便利なバスマップを作ったときの思いをつづってみた。(2020-1219)

バスマップ発行の経緯

私がバスマップの必要性を感じたのは、1985年に国鉄ホバークラフトを岡山・京橋港に修好させる運動を始めたときだ。岡山市を訪ねて公共交通担当を探したらだった1人で、年一回電車バスを使う「さわやかキャンペーン」をやっていて、チラシとポスターを見せられたが、「バスマップはないのですか」と聞いたら、無いという。当時も岡山市には8事業者のバスが走っていたが、何処にもバスマップは無かった。それから交通シンポジウムを開催し、岡山商工会議所と路面電車環状化などを提案したが、岡山市やバス事業者にバスマップ作成の必要性を説いたものの反応は無かった。

そもそも「LRT」の概念は路面電車と鉄道がシームレスに繋がって、都市計画の中で自動車やバス交通、自転車徒歩といいとこ取りできるシステムであって、乗り換えが便利で電車バスの便数が確保されていることが前提だ。その第一歩はバスマップだと思っていた。

RACDAのバスマップが最初に発行されたのは1998年である。岡山で開催される路面電車サミットに向けて、ヨーロッパのLRT事情を視察したことがきっかけだった。ストラスブールでは。かっこいい低床電車が導入されていて、日本からも沢山の視察が訪れていたが、私はきれいなバスマップに目を奪われた。帰ってすぐに交通コンサルタントの戸村忠弘、岡山国道事務所の調査設計課長の牧野浩志、染織家の徳田恭子、岡電の沼本浩史の余人のプロを招集して、お金は会議所から100万円調達した。

しかし資金不足の中て当時ITS(高度道路交通システム)の推進や渋滞対策の観点から岡山国道事務所のホームページ版バスマップを作ることを条件に、もう100万円を出してもらうことになった。当時岡山市内の路線バス事業者は8社もあり、バス協会などに協力要請してもなかなか決定できないと考え、はじめから協力依頼を行わなかった。ただ校正時には協力をお願いした。以後制作者は元RACDA事務局長のデザイナー・佐野浩に変わったか、発行者もRACDAから岡山県バス協会に受け継がれ、岡山市・倉敷市も関与するようになった。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路線の表現方法

それぞれの会社のバスの塗装には、意識されていないがコーポレートカラーの様なものが存在していたので、その色を路線図の色に勝手に指定した。

両備バス(ブルー)、岡電バス(スカイブルー)、宇野バス(茶色)

中鉄バス(ピンク)、下電バス(オレンジ)、備北バス(若草色)

運行本数については一日31本以上を太線、11-30本を中線、4-10本を細線、3本以下を点線とした。

 

第4版からは、岡山駅からの方面別番号を設定し、バス路線も三桁の符番をRACDA独自に行った。岡電以外の5社には系統番号がなく、利用者としてはどっち方面に連れて行かれるかの不安があった。岡山駅から北方面にある岡山大学にの新任の先生が、岡山駅からバスに乗ったらいきなり東に向かって走ったので、あわてて降りたというような事件もあった。岡電は市内中心部だから060のような表現。郊外東部の西大寺に行く便は314という具合である。4版以降は岡山運輸支局との協力関係ができ、これが岡山駅バスターミナルの方面別乗り場化に繋がったが、15年かかった。

路線図にバス路線の詳細を掲載できないので、方面ごとに地図外に路線リストを掲載した。始発地、主要経由地、到着地、往復便数

 

マップの大きさと種類

印刷サイズは840×595両面フルカラー印刷、折りサイズ200×93.5(ハンドバックサイズ)。広げて壁面に貼ることを想定している。
4版目からの岡山版の構成は

A面  岡山市中心部詳細バスマップ、主要バスターミナル案内図、公共施設索引

パークアンドライドのご案内、運行路線案内、使ってお得なバス割引のご案内、

岡山市3D中心部拡大マップ

B面  岡山倉敷広域公共交通マップ(倉敷・岡山・玉野エリア1500㎢の全バス路線網羅)

岡山・倉敷市周辺の主要観光地一覧、運行路線案内

バスマップは自動車以上に街歩きに利用されるため、特に都心図では全部の露地まで描き、3Dの建物まで表示した。この部分は岡山の路面電車MOMOをデザインした水戸岡鋭治さんのご協力で作製した。

岡山の場合、小高い山が点在することから、中域図では山の位置が分るように描画した。バスマップを利用してどこに行くかということを考慮して、役所、デパート、公共施設といったものだけでなく、地域の防災に重要な公園、学校などをすべて表示した。そしてそれぞれ索引を設け、位置と通過バス路線を表示した。

県外からの観光客はすべて交通弱者という観点から、なるべく観光地は表示した。RACDAはまちづくりグループであり、また観光にも深くかかわって様々なイベントを仕掛けてきた経験から、「おもてなしグッズ」としてのバスマップも目指している。私個人の趣味もあり、主要古墳も位置を表示している。

このようにRACDAのバスマップは単なるバスマップでなく、生活マップ、教育マップ、観光マップ、防災マップといった方向づけを示しているが、一度にここまで来たわけでなく、情報の充実は毎回の追加という形になっている。また地図そのものの美しさというものも追及している。デザイナーとしての佐野前事務局長の力が大きい。

 

配布先、販売先

当初は書店での販売、バス事業者からの配布とトモニ、岡山市内ノ小学3年生7000人に毎年配布した。また一時期は県警本部を通じて各交番に2部ずつ配布した時期もある。さらに岡山市が転入キットとして採用されたが、現在は岡山市は独自版に変更になっている。

 

ホームページ、バスロケとの関係

初版から岡山国道事務所がスポンサーであったので、ホームページに掲載した。また2版目では岡電バスに当時始まったばかりのGPSを積んでバスロケを実現したのだが、日本初めてだつたのは気がつかず、広報さえしなかった。2004年のバスマップサミットの開始は、こうしたバスマップの取り組みを内閣府の都市再生に応募して500万円の資金を頂いたことで実現した。この時期までで逆にホームページが消滅する事態になったのは、国道事務所がスポンサーから降りたからである。

反省と課題、展望

17年あまり活動してきて、結果から言えばバスマップを作ったからと言って、全くバスの乗客が増えたわけではない。バス事業者自身がほとんど本気で配ろうともしなかったし、行政との関係は常に微妙だったが、やはり最大の問題は、時刻表と連携されないということだ。それだけに数年前からのGTFSの取り組みには期待している。お金と時間さえ掛ければ、Google Earthのようなシームレスバスマップが作成できるはず。ただ情報更新は事業者が丁寧に行わないと意味が無い。そのためには当然ながらバス事業者には最低3名のGTFSデータ作成者やプログラマーの配置が必要だし、地域の交通連合にはさらにそれを統括する責任者を置く必要がある。ソウルのBRTが成功したのは、当時の市長が40以上の事業者を「決して損はさせない」と説得して、予算と権限を統括したからだ。実はソウルのBRTを国会の議連を通じて国交省に紹介したのは我々であった。
ソウルのBRTではICカードのデータを元に、交通管制センターも持っており、雨の日には増便もされるという。岡山県南ならば、JRとバス全てが連動して、道路とともに交通管制され、渋滞が激しいときにはそこに関連す電車バスが割引になったり、増便されるというイメージを描いてきた。

観光客には広域バスマップが配布され、各家庭には年一度は全戸配布し、系統束別のバスマップや観光目的、通学目的などのバスマップも拠点毎に配置され、バス停のデザインや情報も統一連携し、全てがスマホやホームページでも検索できるといい。


岡山駅バス時刻表