GWの大渋滞を見て思うこと


渋滞にはまったとき、人は「なんでこんなに渋滞するんや」とあたかも人の所為にしてしまうのだが、そもそも自分がクルマで出てくるから渋滞してるというのを忘れている。
自動車社会の外部不経済というが、その最たるものは、「人を独善的にする心のマイナス効果」だろう。クルマは鉄の箱の個室だし、誰に遠慮することもなく、自分の世界を作れるが、重量1トンのクルマは、事故すれば凶器ともなる。それでも保険がカバーして、社会はその横暴さを見て見ぬふりをする。
自動車は地方都市を破壊し、無人の荒野にしてしまう。バキュームカーのように地方の活力と人口を奪うが、その便利さ故に、人は気づかない。
マイカーで通勤する人々は、毎朝必死で運転して、高校生で一杯の電車バスを見る余裕もない。ちょっと余裕のある昼間に運転すると、バスには誰も乗ってないとか、高校生だけしか乗ってないという。赤字だから、廃止してしまえという。その上、バスが停車すると渋滞原因になるからと、イライラして腹を立てる。それでバスが無くなると、高校生は遠方に通えなくなり、そんな所には誰も帰ってこないのに、それにも気が付かない。
内田百閒の「無恒債者無恒心」には大いにお金の効用と、逆にその心への影響を書いている。お金があれば人は独善的になるが、借金をすれば百円借りようとするのに五十円に値切られても、百円に相当する感謝を示さなければならない、何たる鍛錬か、などと謂う。
お金という物は人類の進歩に多大なる貢献をしている。まず物を貨幣換算して、交換できるようにした。農業生産の一粒の種から多くの穀物を生むというところからできた金利という発明品、つまり時間が経てば金利で増える仕組みにし、労働をも換算換算することによって、貯金できねことにして、年金などの仕組みで老後を安泰にさせることも出来た。素晴らしいではないかも労働を貯金できるなんて。
ただ、本来社会運営の利便性から生まれた貨幣や金融の仕組みが、貧富の差を生むことは古代から知られていた。資治通鑑でも再々識者はお金の副作用を述べている。近代に向かっては、民主主義の国家の役割は、貨幣換算した様々な価値を、議論によって所得の再分配することだ。
だがどうだろう、この20年の金融資本主義の跋扈は、新自由主義などでは、貧富の差は当然だとし、小さな政府がいいことだとされる。そこでは貨幣換算されるものだけが尊ばれ、外部不経済は証明できない物はうっちゃられる。

自動車も20世紀最大の発明品で、人のコミュニケーションツールとしては、大成功だったが、いかんせん、人を独善的にする効果がジワジワと世界をむしばんできたはずだ。
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実は宇沢弘文さんの授業を1973年に受けているんだよね、近代経済学の講義で、やたらと数式が飛び跳ねていたのだが、この時期既に「自動車の社会的費用」を準備していたのだろう。当時はまだ東大紛争が終わって、安田講堂は焼けたまま。まだ学生運動の臭いは残り、内ゲバの場面に遭遇することもあった。
1975年に経済学部に行った頃、マルクス経済学の先生と、大学自治会のカリキュラム委員長として、「東大紛争の見直しの中で、企業の役員の授業をしてもらおう」ということになり、僕がアンケートを取って、教授が企業と交渉し、まず「保険概論」、続いて「水産」というのをやった。岡山でも経済同友会で企業経営者の講義を20年前くらいからやっているけれど、この取組みは48年前だから、随分珍しかったかもしれない。
当時僕は、会計学の江村ゼミというアンパイゼミにいて、麻雀ばかりやっていたのだが、教授は「国際会計基準をアメリカのSEC証券取引委員会が作ろうとしているから、まずは英文財務諸表を集めてこい」とおっしゃる。ゼミ生30人で手分けして、上場企業を廻り、お願いして、貰ってきた。僕は富士写真フィルムに行き、発売前のカラーコピーを見せてくれ、「お札を改版しないと、販売許可が出ない」と。まだ小さい京セラにも行ったし、野村證券ではドンの大田淵小田淵が出てきた。
英文財務諸表、ある会社は直訳、ある会社はアメリカの制度により、ある会社はドイツの制度による。分ったのは、「文化が違えば、会計制度も違う」ということ。そもそも会計は自社の業績をひとまず、計数化して、経営の判断基準のするためのもの。決して税法のように、取るためのものではない。
この研究では始めて「連結決算」とか「時価会計」とか「四半期決算」を知った。卒業後の仕事では年一回しか獲れない魚介類の仕入れ加工が主力だから、四半期決算はほぼ意味ないし、年末仕入れた田作原料は、大体年末1kg2000円程度、暴騰すると10000円、年明けには500円になるのだから、時価会計の危うさを当時から感じた。まあつまり現状の国際会計基準は、遊牧民族の考え方だなと思っていた。(会長 岡將男)
田中角栄『日本列島改造論』のジレンマ ローカル線を苦境に追い込んだ道路建設に見る、真に豊かな日本とは 2023-0430 Merkmal


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